ばあばの一人旅
公開日:
:
最終更新日:2015/03/23
ひとりごと
自分自身の為に書き留めておきたい「ひとりごと」です。。
自宅隣に住む私の母が1人大阪へ旅立ちました。
理由は、末期ガンの宣告を受けた弟、私の叔父にあたる方のお見舞いとお別れの為です。
「会いに来てくれるのなら、話が出来るうちに。」というご本人の希望で、 日本各地に住む兄弟姉妹5人が集まるそうです。
母の故郷は長崎の五島列島ですが、訳あって、本当に色々な訳があって、長年、親兄弟と会う事さえ出来ずにいました。
もう。。かれこれ。。40年振り位の再会となるそうです。
私は、母方の両親とも叔父、叔母達とも一度も会った事はありません。
若かりし日の母の生活や北海道に来るまでの経緯は、本人も全く話してくれなかったし、子供心に尋ねるのはタブーなような気がしていて、母がどんな家庭で生まれ育ち、どんな少女時代を過ごして来たのか、今まで知る事はありませんでした。
今回の大阪行きが決まった事で、兄弟姉妹の事や私の祖父母にあたる両親の話を少しだけ聞く事が出来ました。
7人兄弟の4番目に生まれた事。ものすごく貧乏だった事。。
昔から苦労人だった母の生い立ちをこの歳になって初めて知り、「貧乏人と結婚してはいけない。」「子供を沢山産んではいけない。」そんな事を言う母の、理解しがたかった言葉のひとつひとつが、私への深い愛情だったのだという事に気づきました。正確に言うと。。気づいていた事が確信に変わりました。
そして、決して褒められる夫ではなかったかつての父と、心配と迷惑ばかりかけていた親不孝な私と。。
近くに親も兄弟も親戚もなく、孤独に耐えながら必死に家庭を守り続けてくれていた母に、改めて尊敬と感謝の気持ちを持つ事が出来ました。
70歳を過ぎての一人旅。ここ最近は、体調を崩し気味だった母を1人で送り出すのは不安でした。
正直ものすごく心配でした。
先程、無事大阪に着いた母と電話で話しました。
晴れやかな声に安堵しました。
思えば、この38年間、母はいつも私の側にいてくれました。
母の存在は温かく、深い安心感を与えてくれています。
40年振りの兄弟との再会と別れ。。母は何を思い、何を話すのでしょう。
母が側にいないポッカリとした寂しさを感じながら、この旅が、母にとって人生の良き思い出となりますようにと。心から願っています。

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